「どうして教室にいられないんだろう?」不登校・発達障害の親子それぞれの困り事と対応 – Branch保護者座談会 前編

子どもが発達障害の傾向を指摘されたり、不登校になったりしたとき、保護者はどんな思いを抱き、どのように子どもや家族、学校と関わっていくのでしょうか。困ったとき、辛くなったときにどんな支援が必要なのでしょうか。発達障害・不登校の子どもと保護者向けのオンラインコミュニティやメンターサービスを運営するBranchが、サービスを利用されている保護者の方々を招いて座談会を企画しました。前後編でお届けします。

園や学校で指摘され、発達障害の診断へ。驚く一方で、ホッとした気持ちも

Branch代表·中里祐次(以下、中里):今日は、Branchをご利用いただいている4人の保護者のみなさんにお集まりいただきました。お子さんの年齢や学年、不登校になった時期やきっかけ、Branchを知ったタイミングもさまざまだと思います。これまでを振り返っていただきながら、現在のお子さんやご家庭の様子、将来のことについてもお話できれば嬉しいです。


Branch代表・中里祐次。座談会の司会進行を担当

中里:まずはじめに、お子さんが発達障害の診断を受けた時期や、そのきっかけとなった出来事について、一人ずつお話を聞かせてください。診断と不登校、どちらが先かもお子さんによって違うと思います。

西江さん(以下、西江):うちは、診断が先ですね。ちょっと遅めで、小学3年生の終わりごろです。


Branch利用者の西江さん。お子さんは中学3年生(座談会実施時)

西江:小学校に入った当初からすごく忘れ物をするし、立ち歩きも逃げ出しも多いと先生から言われました。保育園の頃から「ヒトシ君、宇宙人ぽいね」とかよく言われてましたけど、「男の子ってこんなもんじゃない?」って思ってたんですよ。

でも、小3の担任の先生から「お母さん、ヒトシ君ADHD(注意欠如多動症)だと思います。診断受けてください」って言われて。そのときは正直、「何を突然」って腹は立ったけど、言われてみれば腑に落ちるところもあったんです。当時は発達障害のことも全然知らなかったので、「そういうのがあるんだ」と。

診断を出してくれる小児精神科がなかなか見つからなくて大変でしたが、どうにか見つかったところで予約が取れて、1カ所目ですぐ診断が出ました。その後もそこに通っています。

芹田さん(以下、芹田):診断を受けたのは息子が4歳になったころです。保育園の年少に上がる前、2歳児クラスのときに、順番が守れない、一番にこだわる、給食の食器の並べ方にこだわりがある、先生の指示が通らない……などなど、色々と先生から指摘され、「3歳児健診で相談してきてください」と言われました。

それで、3歳児健診で相談したんですけど、そのときは特に何も言われず終わったんです。ただ、そこで相談したことがきっかけで自治体の療育センターにつながり、特性の強い子の早期療育プログラムに参加することになりました。そこで3歳から療育をしばらく受けて、医師の診断を受けたのが4歳になってからです。診断名は高機能自閉症(現在の診断分類ではASD=自閉スペクトラム症に含まれる)とのことでした。


Branch利用者の芹田さん。お子さんは小学4年生(座談会実施時)

和田さん(以下、和田):うちは、息子をスポーツ幼稚園に入れたんですが、年中から小学生レベルの集団行動を求められるような幼稚園で。入園して最初の1年はなんとかなってたんですが、年中の途中から集団行動についていけなくなって明らかにトラブルが増えました。指示通りに動けないと、本人だけでなくみんな連帯責任をとらされるので、先生に叱られるだけでなく友達からも責められちゃうんですね。加えて親の私までが「なんで先生の言うこと聞けないの!」って怒っていたので、園でも家でも責められ続ける。

そんな毎日が続いて、年中の秋にとうとう、「お母さん、僕、なんで生まれてきちゃったんだろう」って息子が言い出したんです。目も表情もおかしくて。実は、私自身がうつ病経験があるのですが、そのときの自分に似ている気がして「4歳の子どもがこれはやばい」と。


Branch利用者の和田さん。お子さんは中学1年生(座談会実施時)

和田:それまで、この子がみんなと同じようにできないのは自分のしつけが悪いからだと思ってました。でも、もうこれ以上厳しくしたら、この子きっと壊れちゃう、どうしたらいいんだろうって。それで、区の発達センターに連絡して相談に行きました。もう、話しながらずーっと涙流してました。

2カ月後にはお医者さんと心理士さんに診てもらうことが出来て、ASDとADHDの診断が下りました。お医者さんに家庭の状況や夫の性格、幼稚園のことを話したら「ああ、それはきっとお父さんからの遺伝だね。多いんだよ。お子さんに一番合わない幼稚園に入れちゃったね」って言われました。転園も勧められたんですけど、息子がどうしても、仲良しの友人たちと一緒に卒業したいと言うので、結局卒園までお世話になりました。発達センターのお医者さんに診てもらったので、そこはかかりつけにはならず、その後色々調べて受診して、3件目のクリニックがかかりつけになっています。


渡辺さん(以下、渡辺):診断を受けたのは小1ですね。就学前健診で色々やったあと、最後に校長先生との面談があるんですが、そこで特別支援教室を勧められて。その時は予想もしてなかったので、「え?突然何を言ってるんだろう」って頭がサーッと真っ白になりました。説明を受けてもピンと来ず、帰って夫に話しても「必要ないでしょ」「だよねー」って感じで、でも、やっぱり気になって色々本を読んで調べたら、息子に当てはまることがいっぱいあるし、いやだけど、男の子ってみんなそうなんじゃないの?って(笑)


Branch利用者の渡辺さん。お子さんは小学5年生(座談会実施時)

一同:わかるー!!!

渡辺:やっぱりみんな、最初はそう思いますよね(笑)。うちの子だけそんなに特別なの?って。でもまぁ、一応電話してみるかと思って、学校に案内された窓口に電話したら、「はい、渡辺レイ君ですねー」って話がもう通ってて、そのまま流れるように検査を受けて、結果も出て、「特別支援教室」に行きましょうというふうに行程が進んでいったんです。

学校の様子とか、特別支援教室の仕組みとか、色々と説明を受けて、まだ半信半疑だったけど、言われるがままに特別支援教室に入ることにしました。基本は通常学級で、だいたい週に3,4時間は通級という形です。結果としては、入って良かったかなと思います。

中里:なるほど。それで1年生から特別支援教室に入って、発達障害の診断はその後ですかね。

渡辺:病院に行ったのは1年生の終わりごろになってからですね。行きしぶりからだんだん休みがちになったのがそのころで。経緯としてはちょっと独特なんですけど、息子の中では「運動会が終わったら学校は終わり」って思ってたみたいなんですね。うちの学校は運動会が5月にあるので、入学してからそこまではけっこう練習とかで忙しいんです。で、息子はとにかく運動会のために毎日頑張ってたみたいで、そこを越えると「え、運動会終わったのにまだ学校行くの?」って(笑)。

西江:へー、おもしろい!

渡辺:運動会が終わってからは「行きたくない、めんどくさい」って言うようになりました。私が毎朝送ってどうにか学校に行かせながら、発達障害を診てくれる病院を探して、予約が取れて息子を連れていったのが小1の終わりです。専門のお医者さんに息子を診てもらったら、「ADHDだね。ASD傾向も入ってるよ」って言われて、やはりそういう事か……と少しホッとした部分もあります。

私は最初から「診断をもらいたい」って気持ちでいたわけではないんですが、夫は「やっぱり甘やかし過ぎだよ」と言うような感じで温度差があって、「これはちゃんと、専門の医師に診てもらって、はっきり言ってもらわないとダメなやつかもしれない」って思ったんですね。次の予約は夫婦一緒に行って、ドクターから発達障害について説明してもらったんですが、夫はそこでも「でも、年齢が上がるごとに良くなっていくんですよね?10歳ぐらいで治るんですかね?」みたいなことを言うんですよ(笑)。


座談会は、子どもたちが「好き」を探求するプログラムを実施する、東京・代官山の「Branch room」で実施

中里:けっこうそれ、「あるある」話ですね。よく聞きます。

渡辺:今から振り返ると笑っちゃいますけどね。当時は夫もまだ無知だったし、私も全然勉強不足だったので、えらそうには言えないですけど。

その後も行きしぶりは続いていたんですが、2年生の運動会が終わったあたりで、息子の言葉が「行きたくない」から「もう行かない」に変わったんです。そのころから病欠以外のお休みをちょくちょく取るようになって、それまでとかなり様子も違うので、再度病院へ行ったら、二次障害の見立てを伝えられました。

小2の終わりごろには完全不登校になりました。当時、私もペアトレ(※)を受けてて、息子が「学校行かない」って言い出したことを先生に話したら「息子さん、自分で言えたのすごいじゃない!」って言われたのが印象的でした。え、すごいことなの?って。「それは、命をかけて訴えてるのよ」って教えてくれて、たしかにそのころ、学校に行かないだけじゃなくて「消えたい」とか「いなくなりたい」とかもよく言ってたんですよ。

※ペアレント・トレーニングの略。子どもとの関わり方などを学ぶ保護者向けのプログラム

一回、担任の先生が家まで迎えに来ちゃったことがあって、真面目な先生なんですけど、「レイ君、義務教育だから学校行かなきゃだめなんだよ」って泣きながら訴えてきて、それでもう息子は大パニック。先生の涙がテーブルに落ちたのを「汚い!ふいて!」ってすごい怒って、最後はもうハサミを持ち出して「はやく帰って!あっちいって!」って。

中里:そんなことがあったんですね……Branchに来てくれたのが小3の6月なので、その3ヶ月前ぐらいか。

渡辺:今思えばほんとに胸が痛いんですけど……自分を守るためのギリギリの主張だったんだと思います。傷つけたくないけど、でもこのままだと傷つけちゃうから、とにかく帰ってほしいって。そういうこともあって、私も「もう無理に学校行かなくてもいいかな」って思うようになりました。

そもそも、学校に行く意味って?子どもの声に耳を傾けてみる

中里:先ほどの発達障害の話でもすでに触れていただきましたが、今度は不登校にフォーカスしてお聞きできればと思います。一口に「不登校」と言っても、お子さんごとに原因や経緯もさまざまですよね。完全不登校になるまでにも、行きしぶりや、行ったり行かなかったりの時期を経ることも多いです。

芹田:就学前療育の時点で特に目立っていて、やりたくないことがあると上履きを投げたり、嫌なことがあると頭をガンガン叩いたりしていたので、学校行っても合わないだろうな、というのは想定していました。

保育園の年長から、小学校に入る準備も兼ねてやることがたくさん増えていって、その中で本人は、人の何倍も頑張って字を書いたり工作したりして、やりたくないし辛いんだけど、それを言葉にできないしで、かなりしんどかったんだと思います。

小学校に入るころには、ちょっと笑いかけると「ユウトのことバカにしてんの?笑わないで」って怒るぐらいピリピリしていて、いま思うと、たぶんその時点で二次障害になっていたんだろうなと。学校に入ってからも、支援級の隣の子より自分は字が汚いからバカだと言ったり、交流学級で帰りの会に連れて行かれて、状況がわからないからパニックになってまた頭を叩いたりで、先生も「どうしたらいいんですか?」って困り果てるということがありました。ユウトはそのころ、もう毎日「しにたい。ママ、ころして」って言ってて、先生に相談されても、こちらもどうしたら良いかわからない状況で……。

中里:そうですよね、どうしたらいいかと聞かれても……。

芹田:それで、ゴールデンウィークに入るのをきっかけに、4月の終わり頃から休むことにしました。Branchに通うようになったのはその後ですね。「好き」を見つけるプログラムがすごく楽しかったみたいです。

中里:確かに、最初はユウト君ちょっとピリピリしてましたね。マインクラフトで何か表現したいってことだったので、キャラクターの仮面をつくったり、一緒にお話をつくったりして、それでだんだん心を開いてくれた感じでしたね。


ユウト君がBranch roomで作成した「マインクラフト」のキャラクターを模したお面(壁の中央)

西江:うちは、診断を受けたあとも、小学校卒業までは割と普通に登校できていたんですよ。集団で勉強するのが苦手だったので、個別学習を受けていたぐらいですね。

中学校に上がる時期に、私が離婚して引っ越すことになったんですが、そのころからだんだん行ったり行かなくなったりしだしました。「電車を乗り間違えた」とか明らかなウソをつくんですよ。中1の終わりにコロナで一斉休校になったのが最後のひと押しになりましたね。「学校に行かなくていい」って本人は嬉々としてました。

学校が再開してからも「別に学校に行かなくても生きていけたじゃん、なんで俺行ってたんだろう」ってそのまま不登校になりました。1年ぐらいは好きにさせていたんですが、最近になって本人に不登校の理由を聞いてみたんです。そしたら「中学校に入って合わなくなったのが4割、環境が変わったのが2割、お友達と離れたのが2割、あとは、テストが増えて行きたくないのが2割」って答えが返ってきました。

中里:すごい、明確。

西江:それで「環境が変わったって離婚のこと?それじゃあママのせい?」って聞いたら、「いや、環境が変わるのは人間にとって当たり前に起こることだから、ママは気にしなくていい」って言うんです。なので、「あっそう、じゃあママも気にしないことにする」って(笑)

一同:すごーい!素晴らしい!

西江:先生がちょくちょく家に来て「お母さん、義務教育ですよ」って言ってくるんですけど、そこは二人でうまいことやり過ごしてます。

中里:出た!今日2度目の「義務教育」。教育機会確保法の意味を先生にお伝えしたくなりますね。

西江:私としては、給食食べるためだけに学校に行ってほしい気持ちはあるんですけどね(笑)。シングルなのもあって、毎日用意するのが大変なのと、私が用意したごはんそんなに食べないんですよ。給食は比較的食べるので、あっちで栄養とってきてほしいなと(笑)。無理に行かせはしないですけどね。

中里:ヒトシ君、真面目だから、学校に行ったら「ちゃんと食べなきゃ」ってモードになるのかもしれないですね。

西江:そう、息子の方が真面目で常識的なんですよ。「ママの方がズレてるから」ってよく言われます(笑)。不登校の経緯としてはそんな感じです。

中里:もともと行きたくなかったところ、コロナがそのきっかけになった、と。

西江:学校に行く意味なくなった、大発見!みたいな感じですね。

渡辺:行かなくてもなんとかなるって、本人気づいちゃったんだろうなぁ。

不登校にはなったけれど、先生もクラスメイトも大好き

和田:うちは最終的に不登校になりましたが、小学校では本当に良くしてもらいました。就学前療育も受けて学校にも申し送りをしていたので、校長先生が色々と配慮してくださって。入学前に慣らしで3回学校に行って、校長先生とお話したり、副校長先生とカウンセリングルームで一緒に遊んだりして、息子も先生たちが大好きになりました。入学式もニコニコ笑顔でしたよ。

校長先生から校内会議で先生みんなに情報共有してくださって、何か困ったことがあると、その都度本人と相談して、合理的配慮も対応してくれました。

たとえばこんなやり取りです。
「ゲント君、なんで教室いられないのかな」
「ぼくね、まわりのみんなの視線が気になる。みんなから見えないようにパーティション置いてもらえたらもっと集中できると思う」
「じゃあ、5年生にもパーティション使いたいって言ってる子がいるから、一緒に注文しようか」

他にも、脱走・抜け出しがあった時に
「ゲント君、学校の外に出て誘拐されたら大変でしょ。どうしたら学校にいられる?」
「図書室と保健室と校長室だけだと飽きちゃうし、先生いないときに行くとこがない」
「そしたら、窓から校庭が見える場所に机を置いてブースをつくるから、いつでも使っていいよ。教室にいられないときは、個人ブースか、図書室、保健室、校長室、このどこかに行きますって、担任の先生に言えばいいから」
っていうふうにしてくれて。

中里:へえー、すごい。

和田:1年生の最初の保護者会では、ゲントの特性のことを私からカミングアウトしました。「もしかしたらトラブルが発生しやすいかもしれませんが、そのときはご遠慮なく担任の先生や私に直接ご連絡ください」って。子どもたちも最初は「なんで、ゲント君だけ」って言ってたみたいですけど、担任の先生が「ゲント君は、みんなと同じようにできないけど、できるようにがんばっているところだから、みんなで応援するんだよ」って説明してくれて、だんだん学年全体でその感覚も共有されて、子どもたちも、それから保護者や地域の方もそれとなくサポートしてくれるようになりました。なので、行きしぶりや脱走がちょくちょくありつつも、1学期のうちはだいたい通って学校で過ごせていました。

ただ、やっぱり本人もしんどくなっていったんでしょうね。秋が深まった2学期の終わりに、校長と担任の先生から言われました。

「お母さん、ゲント君毎日すごいがんばってるし、お母さんもがんばってると思います。でも、ゲント君の表情がかなり暗くなっちゃってて、これ以上は辛いと思います。お家でも学校でも、環境調整してきましたが、ここは一度、医療介入を考えてみてはいかがでしょうか」

つまり、投薬の検討を勧められたわけなんですけれど、それまで学校と家庭ですごく密にコミュニケーションを取ってワンチームで対応してきていたので、そう言われたこと自体は全く不快ではなかったです。ここまでやっても本人がきついんだったら確かにな、学校は私を信頼して踏み込んでくれてるんだろうなと。

それで、かかりつけ医に相談すると、コンサータを勧められました。食欲減退などの副作用がやっぱり心配だったので、ご自身も当事者である別のお医者さんにセカンドオピニオンを伺って、本人にも説明をした上で決めました。

「学校にいやすくなるお薬があって、効くかどうかは試さないとわからないけど、飲んでみたい?」と聞いたら「飲んでみる、普通になりたい」と言うので3学期から服薬をはじめました。たまたま最初に試したコンサータと相性が良かったようで、その日からいきなり、5時間きっちり教室にいられるようになりました。

中里:おぉ、薬が合ったんですね。

和田:そのまま3年生の1学期ごろまで飲み続けたんですが、やっぱり食欲減退の副作用で給食がほとんど食べられなくなって、夜ごはんや睡眠のリズムも崩れてきちゃったので、先生や本人とも相談して頓服に切り替えました。一度お薬が効いて学校で過ごせるようになったことで自信がついたのか、いいサイクルが生まれていたし、大丈夫かなという判断もあって。その後、4,5年生でまた学校生活のトラブルが出てきたんですが、本人にまたお薬飲むかと聞いたら「今はいらない、運動会とか演劇発表会のときだけ飲む」って自分で判断したので、尊重することにしました。

その後も学校の先生たちにはすごく良くしてもらって、校長先生は途中で変わったんですが「ゲント君、大丈夫ですから、来年もいい先生に当たるようにしときますから」ってちゃんと引き継ぎもしてくださいました。その5年生の担任もすっごくいい先生で、私も大好きなんですけど、ゲントのように特性のある子に共感してくださる方で、途中でこう言われたんです。

「和田さん、もうさ、ゲント君、必要なことは頭に入ってるから、嫌がるときは無理して学校来させなくていいよ。担任の私がこんなこと言うのなんだけど、もうお母さんが見てて辛そうだから」

中里:「義務教育だから来て」って言ってきた先生たちと真逆ですね。

和田:確かに、学校に行ってもいつもパソコン室や図書室にいるし、本読んだりパソコンでスクラッチやったりも、だいたいやり尽くして本人飽きちゃいますよね。無理に行かせても意味ないか、じゃあ学校休んだっていいかって、そう思ったら私も気が楽になりました。先生たちも、「ゲント君に無理させないでね、来られるときだけ連絡ください」って感じで対応してくれたので、最後の6年生は、1カ月に一回行ったかどうかぐらいでしたね。

校長先生に言われて一番ありがたかったのが、「残念ながら、今の公立小・中学校の仕組みは、ゲント君みたいな子をつぶしてしまう。高校から先はもっと自由にできるので、中学は私立をおすすめします。小学校の今は、とにかくゲント君の心を壊さないように、私たちで協力してがんばりましょう」という言葉です。本当に恵まれていたと思います。不登校にはなったけど、ゲントも先生たちのことが大好きだし、私も、公立の学校に全然絶望していないんですよ。

中里:いやぁ、本当に素敵な学校ですね。先日、彼にYouTubeで話してもらったんですが、先生たちにすごく感謝してるって言ってました。今の和田さんのお話を聞くと、その受け答えも納得です。

YouTube:【大人に物申す】Branchのお子さんに世の中や大人に対してどう思う?って聞いてみました

和田:本人、私にも言ってましたよ。「僕ね、学校好きなんだよね、先生もクラスメイトも好きなんだけど、なんで行けないんだろう」って。今では笑って話していますが、4年生ぐらいまではけっこう悩んで、自分が悪いと責めてたみたいです。でも、最後まで先生たちの誰も学校に行くことを強制しなかったので、それで救われたんだと思います。


後編はこちら
発達障害・不登校のわが子。親として見守りながら、一人の人間として対等にかかわる – Branch保護者座談会 後編

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ライター:閒川 流(あいかわ ながれ)

発達障害のある子どもの学びをサポートする支援員を経験したのち、フリーランスに。既存の枠組みからこぼれ落ちやすい特徴のある人たちの、オルタナティブな生き方、生活実践の取材と研究に携わる。自身も30代で、ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如多動症)の診断を受ける。

撮影:たかはしじゅんいち

2021年8月3日Branchと発達障害

Posted by 中里 祐次