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不登校の子に、親がやって良かった対応、やるべきではなかった対応【体験談】

こんにちは。

不登校や発達障害のお子さんと保護者さんのための居場所、Branchコミュニティです。

今回は、

  • 不登校や行き渋りの子に、親がやって良かった対応、やるべきではなかった対応

こちらの内容を、Branchの保護者の方々にインタビューしました。

不登校や登校しぶりの状態のお子様を持つ保護者の方も、ご自身のお子様と似たようなケースを見つけられ、参考になれば幸いです。

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下記の内容が分かります◎

  • 子どもが「学校行きたくない」と言い出したらどうするか?
  • 学校への合理的配慮の依頼方法
  • 母子分離はどのようにできるようになったか、保護者インタビュー集


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目次

親がやって良かった対応

まずは、こちらの質問を保護者の方にしてみました。

Q.子どもが登校しぶり、行きしぶりを見せた時に、今振り返ってみると、やってよかった対応があれば教えてください。

子どもの気持ちや選択を受け入れたこと

まだまだ社会復帰をした状態ではないですが、全く外出したがらなかった時期に特に気を付けていたのは、本人がやりたくない事はさせないで、本当にやりたい事だけをやらせるようにした事かなと思います。

同級生が怖い、人が怖いという本人の気持ちに共感したこと。

不登校になるまで、世間を意識して子どもの気持ちをそのまま受け止めてあげない親だったことを謝ったこと。

進路選択は本人に任せたこと。

どんな状態でも、あなたのことが大好きで、あなたの親になれて私は幸せだと言い続けたこと。

行き渋りが始まってから、分離不安と赤ちゃん返りがあったので、添い寝をしてお風呂も一緒に入りました。

「ママ、遊ぼう」と言われたら、過集中で付き合うのが大変ですが、可能な限り彼の遊びに付き合いました。

5年生になって完全不登校となってから再び添い寝をするようになりましたが、寝る前にママと話をしたい、聴いてほしいと言われて毎晩1時間ほどお喋りに付き合いました。

半年ほど続きましたが、この期間に、楽しかったり辛かった記憶や体験、彼の思いや考え方をたくさん話してくれて、また、私の子ども時代の思い出なども聞かせてほしいと言われて話しました。

息子はたくさん泣いて、怒って、時には笑って、精神的に安定していった感じです。

いずれ不登校になるだろうと思いながら、無理に学校に通っていた時期にも、本人の行動については、毎日、取れうる選択肢を提示した中から自分で選ぶ、本人が言ってきた希望を極力だいじにする、という、本人を尊重する関りを続けてきました。

なので、一通り学校文化に触れたうえで、自分は学校にいかないと自分で決められたので(いけなくなってしまったというのではなく、じぶんで「学校には行かない」と決められたのがよかったな。と思っています。)迷いがなく、健やかだと思っています。

子どものペースを乱さないこと。

子どもが興味があることに、自分も興味を持つこと。できれば一緒にやってみること。

親の思いでコントロールしようとしない。

親が学校に執着する心、(自分の物差しの普通はこう、こうあるべきみたいな)色々な執着心を手放すこと。

信頼できる支援者を探すこと。

発達障害について勉強してそれまでの息子のいわゆる困った行動を理解できたことで、

決して学校に行きたくないとは言わなかった息子に対して、

「学校へ行かない」という選択肢もあるんだよと話せた事は良かったと思います。

また不登校になる前に病院、教育センターと繋がれた事も、親がいちばん苦悩する時期に少しは不安が軽減できたのかなと思います。

学校を休みたい、塾をやめたい、という言葉をすぐに受け入れ、学校と塾に連絡したこと。

この先どうなるんだろうという不安しかなかったのですが、子どもが限界にきていることは分かったので、夫にも伝えて即決しました。

子どもがやりたいことだけでなく、やりたくないことも受け入れてサポートすること。

不登校になった直後、娘は自分の気持ちを外に出すことができなくなっていたので、「嫌」と言ってもいいんだよ、と何度も伝えました。

最初は「わからない」ばかりでしたが、「わからないことが分かったね」と確認し合っていました。

今は自分の気持ちをはっきり言えるようになってきています。

学校を休ませる、安心できる環境に身を置くと決めて実行したこと。

子どもを変えようとするのではなく、自分の課題に向き合うようにしたこと。

当たり前だと思ってきたことに「なんでだろう?」と、自分に問うこと。

周りとつながれる、安心できる場所を探したこと

大変だと閉じこもりがちになりますが、思い切って学校など関係先に現状や困っていることを打ち明けたため、アドバイスやサポートをいただいています。

「学校には行かないといけない」「学校に行かないと将来困る」というような、漠然とした固定観念を(なるべく)捨てること。

親以外で子どもを肯定して、サポートしてくれる複数の第3者(Branch含む)と繋がっていたこと。

やって良かったことは、オンラインでゲームをさせたことです。

一人でコンピュータ相手にゲームをしているのと、顔は見えないけど同じゲームをやれていることで人との関わりを感じていることに嬉しい気持ちがあるようです。

親も安心できる場所、しんどさを吐き出せる場所が必要です。

Branchで同じ立場の保護者さんの話が聞けたり、しんどさをわかってもらえたり。

自身のケアだったり、一緒に楽しめる仲間がいるのは、とても大切なことだなぁと実感しています。

不登校だとどうしても子どもに気持ちが集中しがちなので、親は親で楽しむことに気持ちを向けられるというか。

なぜかBranchの保護者さんと、好きなことが合うのも不思議なところ笑。

気分の落ち込みも、意外と気候や天気と関係しているとのが、コミュニティを通してわかったりします。

自分だけじゃないんだとわかると、それだけで結構気持ちが楽になるんですよね。

なので、新しいスクールカウンセラーさんに会うたびに、Branchを布教しています笑。

その他

罪悪感を持たせないように外に行く

小1の頃から、学校を休んでいることに罪悪感を持たせないように、平日の昼間でも堂々と子どもと一緒に外を歩いたり、遊びに出かけたり、近所の人に挨拶したりしていたこと。

実年齢の7割程度の精神年齢と思って接する

Branchで発達特性のある子は実年齢の7割程度の精神年齢と話題があり、たしかに息子を小学入学前くらいと思って接するとうまくいくことが多々あり、分離不安が強かった時は公園でも学校の休み時間でも外出先には全て付き添いました。

その頃は息子からも「ボクの遊ぶところ見てて!」と言われていました。

途中で甘えて膝に乗ってきても受け入れるようにしました。

今は公園、学校、放デイに一人で行けるようになりました。

逆に息子を預けて離れて過ごしたり、甘えてきても年相応の自立を促すような態度で接した時は、その場所へは行けなくなってしまいました。

保育園とやり取りを続ける

過剰適応になりがちだったので、極力自分に合った合理的配慮をとれるように未満時保育園時代から、毎日先生と連携して、ものすごく提案しておぜん立てして、皆と違っていても大丈夫というのを実感できるようにずーーーっとやり続けてきました。

過剰適応になりがちだったけど、それを経験することで、ようやくそこから脱することができて、最終学校に行かないと決めた時点で、鬱になっていない、とても健やかという点で、うまくやれたと思っています。

(過剰適応からの鬱状態の不登校のつらい子たちをたくさん知っているので、鬱にしないでフェードアウトすることが目標でした。)

自分と子どもの問題を分けて考える

勉強の遅れを取り戻そうとか、何かやらせようとか思うときは、たいてい私自身に余裕がない時だとある時気づきました。

自分の焦りと子どもの問題を分けて考えるようにしました。

不登校経験を話す

私が不登校経験者である事を伝えて私の話をしたのは、登校しぶりが始まった頃でした。

私は私立中学で不登校になり、その後公立に転校しましたが3年間通わずに卒業しました。
高校へは行かず、社会に出ました。

息子には学校へ行かなくても社会人として生きて行ける事、みんなが当たり前のように持っている学校の経験がない事がコンプレックスになっている事など、私なりにですが思いを伝えました。

本人には安心材料になったようなので、伝えて良かった事だと思っています。

親がやるべきではなかった対応

次に、こちらの質問に答えていただきました。

Q.子どもが登校しぶり、行きしぶりを見せた時に、今振り返ってみると、やるべきではなかった、失敗した対応を教えてください。

無理に学校に行かせようとしたこと

行き渋りの頃を思い返すと、失敗したこと・やらなきゃよかったことばかり思い出されます。。

学校に行くことは大事だ、自分のために行かなければならないものなんだと言い聞かせて、無理矢理行かせ続けたこと。

子どもの発しているSOSを見てみぬふりしたこと。話をしっかり聞いてあげなかったこと。

子どもの心が壊れかけているのに、「環境調整で何とかなる」と思ってしまったこと。

(支援級に移ったから大丈夫、イヤーマフを使うから大丈夫、担任がこういう工夫をしてくれてるから大丈夫…)

学校生活のストレスが原因で起きている問題行動を、療育やSSTで直そうとしたこと。

泣いている子どもを無理やり登校させたこと。

子どもの言葉より、自分や周りの声を優先してしまったこと。

子どもの口から「死」という言葉が出るまで、追い詰めてしまったこと。

行き渋りがあり、別室登校や保健室登校を試したが、人が大勢いる学校のざわざわした雰囲気そのものがストレスの息子には逆効果だった。

やる気を失ってしまった勉強をやらせようとしてしまったが、その後ストレスを取り除き、家で本人が好きなことを自由にさせて過ごさせて、不安感が落ち着くのを見守っている。

小1の頃、行き渋りを相談した際の担任の先生からの言葉「学校に来れば楽しそうにしているしちゃんとできている、朝のお母さんの一押しが大事」を鵜呑みにして、無理やり学校へ連れて行ったことはとても後悔しています。

他の子と比べるような言い方で叱ったことも良くなかったです(他の子は学校に行けている、など)

「休みたい」と言われて、簡単に「どうぞ」とはやはり言えない気がしますが、それでももっと早く「もう十分だよ、休もう」と言ってあげればよかったです。

辛い学校へ「頑張って登校したね、えらかったね」などと言ったことも後悔しています。

息子が心から楽しいと思えることを応援すれば良かったです。

行きたくなくても無理に送って行った。

物と引き換えに行かせようとした。

先生のところまで引きずって連れて行った。

学校のグループ活動をする際好きなお友達とグループにしてもらった。

…失敗しかしていません。学校に行かない選択を一切認めることが出来ませんでした。

幼稚園年長の泊まり保育を行かせなければ良かったと、とても後悔しています。

本人は行きたくない、とずっと言ってました。

上の子が最初は嫌と行ったけど泊まれた経験もあり、幼稚園の先生達も親と離れたら楽しめる、みたいな対応だったので無理矢理抱っこしてもらって置いて来てしまいました。

あの時、娘の言ってる事、気持ちを1番に考えてあげたら良かった、と思います。

娘は、2-3年経ってからも、話題に出ると、つい先日あった事のように、「ママや先生を恨む」と激しく怒っていました。

失敗した対応は、学校にいると吐き気がするようになっていたのに、無理に登校させたことです。

その後不登校になって2年経ちましたが、まだ不安からくる吐き気や腹痛が時々起こります。

こんなに症状を長引かせてしまったこと、また体調が悪くなるのが不安で外出もあまりできなくなってしまったのですが、それは無理矢理登校させてしまったからだと後悔しています。

失敗しかない。

本人の様子からして、休んだ方がいいと感じていたのに、学校に行けないことを責めてしまった。

休みグセをつけると、このままズルズル休むことになるのでは、と恐怖でいっぱいで、親の不安を子供にぶつけていた。

自分の時間がなくなるのが嫌だった。

結局、親のために我慢しろ、と言っているのと同じだった。

たくさんありますが一番の失敗は、無理やり登校させたことと、「学校には行かなければいけない」という価値観を押し付けてしまったことです。

子どもに不信感と罪悪感を抱かせてしまいました。

タブレット学習やオンライン講座など、今は学校へ行かなくても学べる時代と思い、焦って取り入れたこと。

元気になってきた今でも嫌厭されていて、何もせずゆっくり休ませてあげれば良かったと後悔しています。

それから学校へ行けた事を褒めること。

再び行けなくなった時の「ボクには褒められるところがない」と落ち込みがひどかったです。

労いの声かけはしても、学校へ行く行かないで親は一喜一憂を見せないほうがいいと思いました。

今振り返り、反省する事ばかりですが…学校は行って当たり前だという自分の価値観。

行かないと困った事になるという自分主体の考え方。他の子と比べるような発言を改めたいです。

息子の状態が最悪の時に、無理に病院へ連れて行き続けたことも、先生への警戒心を強め今の病院嫌いに繋がってしまった原因となってしまいました。

行き渋りは入学式直後からあったのですが、学校は行かなきゃならないと思い込んでいたので、親が送迎するなどして何とか通わせていました。

今振り返ってみると、あんないじめを受けて傷つくなら最初から学校なんか行かなければ良かった、とも思います。

幼少期から発達障害もあり、療育や放課後デイサービスなど色々と通いましたが合っている所が見つからず、フリースクール等の不登校の世界の方が、我が子には合っているように感じます。

その他

発達障害についての知識がなかった

親の私たちに発達障害についての知識がなかった事で、ずいぶんと本人に負担を強いていたと今でも自責の念に駆られています。

まとめ

親がやって良かった対応としては

  • 子どもの気持ちや選択を受け入れる
  • 周りとつながる、安心できる場所を探す

が主に挙げられました。

親がやるべきではなかった対応としては

  • 無理に学校に行かせようとする

ほぼ100%でした…!

Branchで見ていると、子どもが学校に行きたくないと言ってきた時に、無理やり学校へ行かせようとすると、高い確率で更なる登校渋りを起こしてしまいます。

子どもが登校渋りを見せた時には、基本的には心の休養をとって学校は休み、お子さんとの対話や生活の中で、お子さんが学校に行きたくないと思う理由を少しずつ見つけていくのが良いでしょう。

「好き」で安心とつながりを育むサードプレイス

この記事を書いているBranchは、不登校・発達障害のお子さま向けの「学校外で友だちができる」Branchコミュニティを運営していて、以下のような特徴があります。

  1. 「学校行きたくない」という気持ちを抱え、家族以外の人との関わりが減ってしまった不登校のお子さま達が自分の「好きなこと」をきっかけに安心できる居場所や、友達ができるようなサービス。
  2. NHKや日テレなど多くのメディアにも紹介され、本田秀夫先生との対談や、厚生労働省のイベントの登壇実績もあり、サービス継続率は約95%以上。
  3. 小学校低学年のお子さまはもちろん、どんな子でも楽しく参加できるようにスタッフがお子さま一人ひとりに寄り添ったサポートを徹底。

Branchコミュニティ1ヶ月無料体験ができるので、ご利用を迷われている方は一度お気軽に無料体験予約をお申し込みください。

また、不登校や発達障害に関する情報を日々シェアしているLINEも運営しております。こちらも無料ですので、よろしければご登録ください。

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ライター/著者プロフイール

Branchのライター。早稲田大学卒業後、都内ベンチャーキャピタルの企業に勤務しながら、2024年の4月からBranchの運営のお手伝いさせていただくことになりました。子どもたちの「好きなこと」を見つけられるお手伝いや、保護者の方と子どもたちの、心休まる居場所作りをしていきたいです!

会社概要

Company

社名

株式会社WOODY


代表取締役

中里祐次


設立

2013年11月11日


所在地

〒150-0034 東京都渋谷区代官山町9-10 Sodacco 2T02


株主

㈱サイバーエージェント、㈱ウィザス、ANRI、レジェンドパートナーズ、笠原健治氏、乙武洋匡氏、佐藤裕介氏、古川健介氏、中里、その他エンジェル投資家


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代表取締役

中里祐次


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㈱サイバーエージェント、㈱ウィザス、ANRI、レジェンドパートナーズ、笠原健治氏、乙武洋匡氏、佐藤裕介氏、古川健介氏、中里、その他エンジェル投資家


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