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「『学校に通っていないのが自分だけではない』ということに気づけたことが大きかった」【小学3年生・女子】不登校のきっかけと居場所の見つけ方 – Branchユーザーインタビュー

不登校になったお子さんは、どのように居場所を見つけていったのでしょうか?また、保護者の方はどのようにお子さんと関わっていたのでしょうか?

今回は「今まさに子どもが学校行き渋りだ」「今まさに不登校になった」というご家庭の方に向けて、他のご家庭はどうやって情報を見つけ、居場所を見つけ、どのようにお子さんが変化していったかをインタビューいたしました。

この記事では、現在小学3年生・女の子の保護者の方にお話いただいた内容をご紹介します。

目次

子どものプロフィール

  • 名前:Tさん
  • 特性:発達の凸凹が大きく、書字にやや困難があります
  • 困ったこと:もともとあった入眠困難が不登校を機に強くなり、服薬しています。そのほか不登校後に出てきた症状として、外出困難、対人恐怖や聴覚過敏もありましたが、これらは現在ではかなり軽快しました。
  • つい最近まで勉強はまったくせず、鉛筆も持たない日が続きました。書けていたひらがなも書けなくなっていたりと、できていたはずのことができなくなっているのは見ていて切なく、「大丈夫かな」と心配になることもあります。
  • 好きなこと:本を読むのが一番好きだと思います。和歌をはじめとした日本の古典文学や歴史に関心があって、関連する本を読んだり暗唱したり。また、マイクラで建造物等の再現を試みたりしています。ポケモンやハリー・ポッターも好きですし、生きものも好きです。最近は、マイクラで作ったものを誰かに見て欲しいと思うようにもなったようです。


テーマパークのアトラクション待ちの行列でも、本を読んで過ごしていました。

学校に行けなくなったことと関わりますが、物事を理解して腑に落とすプロセスがユニークです。

赤ちゃんのころ、ハイハイで壁際を歩いているのを見て「危ないよ」と頭と壁の間に差し入れた母親の手をどかし、自分で頭を壁に打ち付けはじめたことがありました。力を調節しながら何度かぶつけて、ある強さのところで「痛い!」となって、はじめて親の言った「危ない」に納得するんです。

本人はその過程を本当に楽しそうにやっていて、認知のプロセスというか、理解の落とし込み方がユニークだな、と感じました。

同時に、きっと学校教育になじまない子なんだろうなという予感もおぼえましたね。

最近では、電卓に√の記号見つけて「お母さん、これなに?」と聞いてきたことがありました。「√9は3なんだけど…」と答えたところで私の説明を遮って少し考え、「分かった」って言うんです。

分かるはずないと思ったんですが、本人が「分かった」と言ったらそれ以上の説明をさせてもらえないんですよね。本当にわかっているのかもわからない。

そのときは、しばらくして「√4は?」と聞いたら「2でしょ」と返ってきたんで理解していることはわかったんですが、一事が万事そんな感じなんです。最小限の説明しか受け入れず、自分で考えて理解したい。その理解が間違っていたらどうするの?と心配にもなるのですが、そういう学び方の子なんだろうなと思っています。

不登校になったきっかけ

入学してすぐから、学校へ行きたくないそぶりを見せるようになりました。

まだ幼く、はっきりとした理由は聞けませんでしたが、小学校が「自分の居るべき場所じゃない」と感じている様子は明白でした。

幼稚園まで過剰適応気味に過ごしてきたことを心配していたのもあり、親の方から「行かなくていい」と働きかけてそのまま完全不登校になりました。

学校側とのやり取り

夫も私もあまり学校にこだわりがなく、学校以外の場所でも学びは充分に得られると考えているので、ハードル低く不登校になりました。

なので学校に行かせるための調整はしていないです。

ただ、本人は「みんなと同じことができない自分」を受け入れられず、苦しんでいたようでした。「学校に行かなくちゃ」という本人の希望で1時間だけなどの登校を試みたことも、2-3回あったと思います。

そうすると「今はまだ無理しなくていいんじゃない?」と、先生も言ってきたんです。先生は、割と理解のある柔軟な対応でした。

2年生の先生も「本人次第、ご家庭次第でいいですよ」と。

WISCは2年生の時に受けて、その結果を学校にお知らせしました。

私たちは娘に家族以外との関わりがなくなってしまったことが気になっていたので、「もし来られそうなら本を借りに来たら?」という先生の言葉に甘えて、2週間に1回図書室に行くというのは今もやっています。

母子分離の困難さもあったので、「家族以外と話をする機会が欲しい」という要望を伝え、先生がその役割をしてくれています。

行き渋り中の子どもとご家族の様子

子どもは、困惑してる感じというか、困ってました。

それまで海外で過ごした時期があったり、帰国後もプリスクールに行っていたりと、英語の環境だったんです。

公立小学校で初めての日本語環境、知り合いもいなかったですし、大変そうでした。

娘のような経歴だとよくある話だとも聞くのですが、例えば、苗字にさん付けで呼ばれることにすごく違和感を覚えていたり、話すときに先生やお友だちが目を見てくれないことがショックだったり。ふでばこの柄の指定のような、本人にとって意味の分からない細かなルールがたくさんあることにも当惑していました。

些細なことが積み重なってストレスを感じていたようです。

体が固まっていて「行きなくなの?」と聞いたら「うん」と頷いたので、「じゃあ、行かなくていいよ」と。親としては予想よりだいぶ早く不登校になったな、という感覚でした。

お子さんの困りごとを解決するための情報をどのように取得していましたか?

インターネットでまとめられた情報のほか、書籍や論文を読むことが多いです。Branchのようなネット上の保護者同士のつながりで、ヒントを得られることも多いと感じています。

不登校になってから、娘は私や夫が思うより、落ち込んでいました。

感覚過敏、対人恐怖なども突然出てきました。それまで一切ない子だったのに。

不登校になったら読む本などを読み始めたら「対人恐怖はあるあるですよ」とか分かりました。

いわゆる乳幼児期のチェックリストがまったく当てはまらなくて、発達障害を疑っていなかった中で、「じゃあ、今のこの状況は何が原因なのか?」ということになり、お世話になっている行政の教育相談でWISCを受けました。

結果、凸凹が大きいことがわかり、手先の不器用さ、特に書字に困難がみられると指摘されました。文字は書けるけど、本人の思うほどスムーズにできないからもどかしい、という状態だそうです。

また検査の数値を見て、「ギフテッド」についてちゃんと調べてみようということにもなりました。

そしたら、ギフテッドって思ってたほど特別なものじゃなくそこらへんにゴロゴロいるぞ、ということがわかってきて、さらには、娘の認知や学びの独特さ、理屈っぽさや完璧主義で過剰適応してしまうところ、不安の感じやすさなど、符合することが次々と出てきたんですよね。

いろんな角度から娘のことを診てもらいたいという思いから、今は専門の外来にかかっています。先生には、医療的な介入だけではなく、娘の世界を広げていくための次のステップについての相談にものっていただいています。

お子さんの困りごとを相談する場所やコミュニティはありますか?

区の教育相談のカウンセリングを利用しています。

スクールカウンセラーさんとも面会したことがありましたが、登校にこだわらず広い視野からのサポートを考えてくださる点で、我が家は教育相談の方のほうが合っていました。


また、Branchや対面のフリースクール、親の会などの保護者同士のつながりにも助けていただいています。


教育相談のカウンセリングに関しては、全般的に相談しています。

例えば「両親が今病気で…」とか、そういう話もしています。

WISCもここで受けました。

私が発達障害というものの理解が及んでいない状態で、Branchさんなどを通じて情報がものすごくたくさん入ってきて、「ASDと言われたらそうなのかな?」とか迷った時期もあって。情報の整理を最終的にお願いしているような状況ですね。

娘が対人恐怖で人と関わりたがらなかったころに、私が「ソーシャルスキルトレーニングというものがあるらしい」とBranchで情報を見つけてきて、カウンセラーさんに言うと「娘さんはコミュニケーションが『できない』じゃなくて、『やりたくない』の方だから違うと思いますよ」とスパッと言ってくれたり。

交通整理とか情報整理という形ですね。助かってます。

お子さんが所属感を感じている居場所はありますか?

所属感とまではいってない気もしますが、不登校になった直後の外や他者への恐怖心でふさぎ込んでいた時期に比べると、Branchの部活や放課後の学校の図書室など抵抗感少なく参加できる場は徐々に広がってきました。

学校の先生とも話すようになっています。

行くまでがハードル高いけど、会えばフレンドリーにできる子なので。

なんとなく感じたところで「Tさ、○○先生好きでしょ」と言ったら「うん」と言っていたので、親しみを感じているのだと思います。

娘の視力が気になり、保健室で視力検査をしたら、結構悪い数字だったんです。本人は落ち込んで、体育座りで隅っこに座ってるみたいな状態でした。

そこで「目が悪くならないためには?」と、一緒に調べると、「日光を浴びましょう」とか「規則正しい生活をしましょう」とか出てくるんですよね。

それを見た本人は、いきなり「学校に行く」と言い出したんです。急だなと、びっくりしました。

それで、「世の中には学校以外にもいろんな場所あるよ」とか「フリースクールっていうのもあるよ」と話したら、乗り気になってくれて。今だ!と思って、それまでこっそり集めておいたフリースクールの情報を伝えました。

ただ、低学年から受け入れてくれるフリースクールは少ないんですよね。

DE-SCHOOLさんというところのTwitterで見たマイクラの動画に娘が目を輝かせたので、4年生からとわかっていたんですがダメ元で連絡してみたけど、やっぱりダメで。「低学年も受け入れ可能で、同じようなコンセプトのところご存知ないですか?」と聞いて、紹介していただいたのがBranchでした。

所属先を得た後、お子さんはどのように変化しましたか?

不登校になってしばらくは家族としか過ごせない時期が続きました。
そこから、放課後登校やBranchへの参加などを経て、少しずつ世界が広がり回復してきた感覚を持っています。できなくなっていた外遊びや買い物、通院なども、今ではほとんど負担を感じなくなってきたようです。

所属感とは違うかもしれませんが、Branchなどで同じような境遇のお子さんたちとつながり、学校に通っていないのが自分だけではないということに気づけたことが、娘にとっては大きかったと思っています

当初、オンラインのフリースクールに娘がうまく対応できるイメージがまったく持てなかったんですよね。対面でだって話せないのに、声と画面だけという限られた情報のなかでコミュニケーションなんて取れるのかな?と不安でした。

でもいざはじめてみると、娘が毎回の部活をすごく楽しみにしていて、生き生きと参加していることに本当に驚かされました。参加できるものはとりあえず一通りすべて見てみようと、カレンダーとにらめっこしている姿に、不登校以前の元気で好奇心旺盛な娘が帰ってきたと感じました。

マイクラ部などの部活に、娘は最初のころカメラをオンにして参加していました。

うまく声が出せないぶん、大きくうなずいたり首を横に振ったり、挙手をしたりして意思疎通を試みていたようです。そのために、事前に服を着替えたり髪をとかしたり、いそいそと準備をしていましたね。

段々と発言のタイミングや雰囲気もわかってきて、今ではカメラをオフにしてパジャマのままリラックスして参加するようになりました。

保護者の感情の変化

母親である私も不登校だったので、「不登校でも生きていける」と思っていて、そこは心配していなかったです。

ただ、私の想定を超えて本人が落ち込んでしまって、夜中に何時間も泣き叫ぶことなどがあって、それはつらかったですね。

人と関わった時のストレスなど、咀嚼が必要な子なんです。休んで充電して、また外に出て、という繰り返しです。

フリースクールも、2ヶ月行って、2ヶ月休んで、また最近行っています。

カウンセリングも一緒でよく休みます。
なので、ちょっとずつ曲がりくねった階段をぐるぐる登っていくタイプなんじゃないかなとカウンセラーさんにも言われました。行ける場所、繋がれる場所をいくつかキープしておくのが良さそうというアドバイスをいただいたので、徐々にそういう場所を増やしていきたいなと考えているところです。

外に出られる時と出られない時期があって、親はそれに振り回されてるところもありますね。

不登校や行き渋りがあり、今まさにお困りの保護者さんにメッセージ

普通迷いますよね。

私は学校に行かないこと自体には全然悩まなかったのですが、自分が悩まなくても子は悩む、ということもあるんだと分かりました。実は私自身も高校生のころに不登校を経験しているんですが、そのときは逆だったんですよね。私は開き直っていたけど、親の方が常識に縛られてひどく思い詰めていました。

当時、私は起立性調節障害と診断されたんですが、それでも毎朝「起きなさい」「学校へ行かないの?」と言われ続けて、とてもしんどかった記憶があります。起立性調節障害だから不登校になったのか、不登校のストレスが体に出たのか、今となってはよくわからないんですけど、娘については小さなころからずっと学校に適応しない子だという予感があったなかで、同じ道を辿らせてはいけない、という思いは強く持っていました

体の症状が出てしまうと、親は手が出せなくなるじゃないですか。それもあって、「学校に行きたくない」と言われたら、すぐに受け入れるつもりでいました。

できれば身体症状が出る前に、子どもの気持ちを受け止めてあげて欲しいと思います。

※次のインタビュー記事は2023/4/16更新予定です。

発達障害や不登校の子の「友だちができる。安心できる居場所」とは?

Branchでも1つの解決策として、不登校・発達障害があるお子さま向けの「学校外で友だちができる」オンラインフリースクールを運営していて、以下のような特徴があります。

  1. 「発達障害」や「不登校」で悩まれている保護者の方達がなんでも自由に悩みや困りごとを相談できる安心できるコミュニティや、家族以外の人との関わりが減ってしまった不登校のお子さま達が自分の「好きなこと」をきっかけに安心できる居場所や、友だちができるようなサービス。
  2. NHKや日テレなど多くのメディアにも紹介され、本田秀夫先生との対談や、厚生労働省のイベントの登壇実績もあり、サービス継続率は約95%以上。
  3. 小学校低学年のお子さまはもちろん、どんな子でも楽しく参加できるようにスタッフがお子さま一人ひとりに寄り添ったサポートを徹底。

もっと詳しく知りたい 》

Branchオンラインフリースクールは1ヶ月無料体験ができるので、ご利用を迷われている方は一度お気軽に無料面談予約をお申し込みください。

「学校外で友だちができる」Branchオンラインフリースクール

その他のインタビューはこちら。
【学年別】不登校のきっかけと対応、利用した支援やその後の変化 – 当事者・保護者インタビュー記事まとめ

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 研修を受け、発達障害の特性にも理解があるスタッフが献身的にサポート

 自分の「好き」から 遊べるイベントが盛り沢山

 特性に沿ったお子さまのサポート方法をスタッフが一緒に考案します

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ライター/著者プロフイール

中里 祐次のアバター 中里 祐次 代表取締役

Branch代表。早稲田大学卒業後、㈱サイバーエージェント入社。子会社の役員など約7年勤めた後にサイバーエージェントから投資を受ける形で独立。自分の子どもがレゴが好きで、東大レゴ部の方に会いに行った時に目をキラキラさせていたのを見てこのサービスを思いつきました。好きなことは、漫画やアニメを見ること、音楽を聞くこと、サウナ、トレイルランニング、かなり多趣味です。Branchの子どもたちに鍛えられて子どもが好きな遊びはたいていできるようになりました。

会社概要

Company

社名

株式会社WOODY


代表取締役

中里祐次


設立

2013年11月11日


所在地

〒150-0034 東京都渋谷区代官山町9-10 Sodacco 2T02


株主

㈱サイバーエージェント、㈱ウィザス、ANRI、レジェンドパートナーズ、笠原健治氏、乙武洋匡氏、佐藤裕介氏、古川健介氏、中里、その他エンジェル投資家


会社概要

Company

社名

株式会社WOODY


代表取締役

中里祐次


設立

2013年11月11日


所在地

〒150-0034 東京都渋谷区代官山町9-10 Sodacco 2T02


株主

㈱サイバーエージェント、㈱ウィザス、ANRI、レジェンドパートナーズ、笠原健治氏、乙武洋匡氏、佐藤裕介氏、古川健介氏、中里、その他エンジェル投資家


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