発達障がい児と、その子どもたちが興味を持っている分野の学生や専門家などをマッチングさせ、発達障がい児の可能性を伸ばすWEBサービスである『Branch』を運営している中里と申します。

みなさん、発達障がいに関わるお医者さまがどんな方なのか、普段どんな事を考えて働かれているか気になりませんか?

今回は成城学園前にある国立成育医療研究センターにて、主に発達障がいの子どもを診察していらっしゃる三木 崇弘先生に、WOODY代表の中里とRoots by Branch教室長の佐野でお話をうかがいました。

 

前編はこちらから。

 

ー 子どもの発達特性をどう見取るか

ちょっとお見せしたかったのが、うちの教室(Roots by Branch@代官山)でやってる特性分析シートなんです。

お子さんの特性を保護者の方が分かるようにプログラム(講座内容)を組んで、プログラム中にはドキュメンターというメンバーが講師と別に付いてお子さんの行動を観察/記述します。


※実際に利用しているシート。実際は長期利用してもらい更に詳細なものを提出している。

 

支援者が介入する様子を第三者が観察して拾っていくっていうやり方なんですね。

 

そうです。例えば、認知特性についてだったら、声掛けとかで行動が変わった瞬間を見たり、注意集中は、どんなものに集中したのかなどを記述します。他には、BGMが気になるとかだったら聴覚がキーになるんだろうなとかいう形で判断しています。

ちょっと具体的にお聞きしたいのは、例えば、三木先生は実際に診察している時に、ちょっとこの子、聴覚優位っぽいな、あるいは視覚優位っぽいなってどのように判断されているのでしょうか?

 

基本的には、保護者や学校からの情報と、あと知能検査ですね。外来場面だとなかなか介入しての観察って出来ないので。

 

お母さんからの聞き取りだと、普段の生活で、どういうことをしてることが多いかとか、からそういうエピソードから判断するってことですよね?

 


そうですね。だから、お母さんが子どもの様子をどう把握しているかというバイアスがすごい入ります

 

ああ、まあそうですよね。

 

これは、うちの科の宿命で、基本的に陳述するのはほぼ間違いなくお母さんなので、お母さんの捉え方が間違っていたり偏っていたりする場合は、情報の確からしさが下がります

でも、お母さんと話していると、お母さんの物事の捉え方のクセが見えてくる。

そういうことも加味して判断しています。どうにもお母さんの捉え方が偏っている場合には、僕が直に学校に電話して、できるだけ客観的な情報も集めるようにしています。

 

親御さんから話を聞かれる時に、どういう内容だとこの親御さんの言ってることは確からしいと判断されるんですか。

 

まずは、お母さんの声掛けがどの程度機能するか、うまくいくのかは聞きます。

でもその時に、お母さんがどんなタイミングで、なんと声掛けしたかも聞きます。

単純に「この子は言ってもなかなか聞かないんです」という話でも、もしかしたら、お母さんの声掛けのタイミングが悪いのかもしれないし、お母さんの指示が長くて伝わりにくいとか、指示の言葉が漠然としてて、何をしたらいいのかわからないのかもしれない。

こうして、お母さんの話から、出来るだけ働きかけとその結果の行動についての客観的な事実を抜きだそうとしているところはありますね。

声掛けから聞いていくのは、あんまり家ではビジュアルで指示入れてるお母さんって少
ないからです。

それでもたまに、とても力のあるお母さんで、家の中に色んなものを貼ったりとかリスト化してることがありますよね。そうしてビジュアルでの構造化をしてみたら、格段にできるようになりました、みたいなエピソードがあると、ああ、この子、視覚強いかもねって話はしますね。

でも、僕が診断の時に一番頼りにするのは、やっぱり知能検査ですかね。

アセスメントをする人の個人的な見解だけで、その子のことを評価するのは危険だと思います。知能検査は測りたいものを測るために作られているし、標準化もされている。

客観的な指標として認められているわけです。

例えば、文章題が苦手で、算数の図形だけは得意ですみたいな話もあったりするんです。

そうすると、それはビジュアルで理解するのが得意なのか、それとも、論理的な推論が得
意だから、図形問題ができるのかとかっていうのも学習からだけだと分からないので。だ
から、知能検査の所見を裏付けとして持っていたいなと思います。

 


そうですね。普通の問題ってだいたい色々なスキルを組み合わせて解くようになってますからね。

 

そうなんですよね。

学校でのテストは単一のものを調べるために、わざわざ設定されているものじゃないですからね。

もちろん知能検査でも、例えば、処理速度というか、作業のスピード見るっていうことになってるけど、作業スピードだけではなく、視覚認知能力も使ってるよ、みたいなところもあるんですけどね。

 

なるほど。逆に、その知能検査だけでは、拾いきれない部分ってありますか?

知能検査やアセスメントツールはいろいろあるので、どれを使うか、どれを組み合わせるかによっても変わります。

でも、僕が検査では一番拾いきれないなと思うのは、コミュニケーション能力ですかね。当たり前ですけど。

知能検査で言語理解が高いって出るのに、作文が全然駄目で、話がまとまらない子、いっぱいいるんですよ

そういった結果を浅く理解すると、知能で言語理解が高いと、この子は言語が得意ですって思われがちなんですけど。

 

なりますね。

 

それって、「ツールやスキルは持ってるけど、使い方分かってない」ってことかなと。

 

ああ、なるほど。

 

例えば、僕のケースで、全検査IQが90くらい(平均の下あたり)だけど、言語理解については110くらい(平均の上あたり)の子がいるんです。中学生の男の子で。

その彼が、僕の診察の時に、学校でケンカした話を15分ぐらい1人でダーッとしゃべってくれたんですけど、その間に句点が2回ぐらいしかないんですよ。

 

ああ、なるほど。確かに言語能力は高いでしょうね。それは。

その単語の意味は知ってるし、難しい言葉も使うんですけど、文脈がおかしかったりとか、接続詞もなかったり。主語がないことも多いですね。誰が誰に何した・何されたのかを注意深く聞かないと、僕と理解がずれちゃう。
  
だから、整理しながら話を聞きます。「ちょっと待って。え、どっちが殴ったの?」「僕」「君、なんで殴ったの?」「ムカついたから」っていう。「それで相手はどうしたの?」「こうでね、こんなことしてね…」ってやると、状況が見えてくるんですけど、1人で長文を陳述させると、どうにもこちらは理解しづらい。

彼の話が、いかに脈絡がないか、まとまっていないかという話の内容についてのことも見えてくるし、彼自身がその語りをする中で、相手がどこまで話についてきているかをモニタリング出来ているのか・出来ていないのかについても見えてきます。

そういうのはアナログで人と人がしゃべってみないと分からないかもしれないなと思っています。作文書かせても、だいたい同じようなことができると思うんですけど、しゃべると書くってまた、ちょっと違いますよね。作文も、書き方やフォーマットを教わってる子だと綺麗に書けちゃう子もいます。話すとなると、そんなにまとまって話せなかったりするのに。

もっと日常的な場面での話でいうと、友達とのやりとりに必要な認知やスキルについても、検査では把握しにくいですね。

トラブル場面、例えば、友だちを突き飛ばす時の目線から相手の気持ちを推測する力であったり、そもそも相手がどうして自分とトラブルになっているのかの相手の心情についても認知できてなかったりしますけど、それを把握して評価する検査ってないですからね。

 

なるほど。わかりました。

あと、伺いたかったのは、親御さんたちからよく質問くることがあるんですけど、例えば、アセスメントをふまえて、視覚とか聴覚が優位なのは分かりました、となる。けれど、じゃあ、「結局それをどう活かせばいいんですかね?」みたいなこととかってよく言われるんです。

では、診察の場だと、お子さん診て、ちょっと視覚から入ってくる情報のほうが過敏ですねっていう感じになった場合って、三木先生はどういうアドバイスされるんですか? 

 

実際に、生活の中で、どんな工夫や手立てをしていくのかということについては、実は病院で相談するとなると難しいことがありますね。

話せる時間も限られているので、こちらからは、オーソドックスなことは話せるけど、その家庭ごと学校ごとの個別の事情を加味した話まで落とし込めないことがどうしても多くなってしまう。


だから、検査などのアセスメントの結果をもらったら、ぜひ地域の相談機関かスクールカウンセラーの先生に相談されたらいいと思います。

アセスメントの結果と僕ら医療機関での助言を、日常に活かすことは、そういった専門機関を活用するのがいい。

それはそれとして、僕が診察で何を言っているか。

実際、診察の時は、「ビジュアルで指示出しましょう」ぐらいになってしまいますね。

そもそも、人って声掛けをするのが一番簡単なんで、ついついそうしちゃいますよね。

だから、それをできるだけやめて、シンプルにしてみましょうって言います。

声掛けだらけになってしまったら、声掛けがBGMでしかなくなって、何が大事な指示なのかが余計伝わりにくくなる。だから厳選してくださいって。

そして、まずは、お母さんが自分の中でまとめてから、箇条書きにするか、ポイントを絞って提示してあげましょうねと話をします。

1つやったら次の指示を出すのでもいいですし、見通しを提示するという意味では、「やることは2つあります。1つは~、もう1つは~」みたいに伝えられるといいですよね。1つずつ指示を出すのがいいか、見通しを出すのがいいのかは試してもらって判断したらいいと思います。

もちろん視覚優位の子に対しても、どうしても指示って全部書けないじゃないですか。仮に家で出来たとしても、学校で全部視覚的な指示を使ってというのは難しい。

 

そうなんですよね。視覚的にってなると難しさがありますよね。具体的なお話ありがとうございました。


ー 発達障がいがスタンダードになりゆく未来へ

最後になるんですけども、発達障がいを取り巻く環境がどのように変わっていくとお考えですか。その辺りをおうかがいしたいです。

2005年に発達障害者支援法が施行されました。それで枠組みができて、障がいの早期発見や支援が進みました。教育現場をはじめとして理解が進み、対応法の理解も広がってきた印象があります。

とはいえ、在野というか、困ってなければ発達障がい傾向がある人でも、病院に来ない人でもいっぱいいらっしゃる。その辺りの話は先ほどうかがいました。

そうした、さまざまなグラデーションの中で、発達障がいの方を取り巻く環境はどのように変わっていくと思われていますか。

 

これから、発達障がいがもっとスタンダードで身近なものになると思います。この十数年の間で、子どもの中で、つまり教育現場や医療・福祉現場で発達障がいというものの理解と対応が広がってきた。

専門家ではない普通の保護者の間でも理解が広がっています。最近では、よくマスコミでも扱われるようになりましたしね。

そういう中で、子どもだけでなく、大人にも目を向けてみると、発達障がいの傾向を持った人っていっぱいいるよね?とか、困るほどではないけど、そういう傾向を持つ人っているよね?と理解のあるまなざしも広がってきました。

これまでは「ちょっと変わった人」という認識だった人も、発達障がいという枠組みを通すと、もっとその人のことが理解できるかもしれない

それは悪い意味とは限りません。

発達障がいの傾向は、誰しも持っているものだし、こういう傾向を持つ人にはこういう手立てがあるといいという蓄積も進んでいます。だから、今後、発達障がいという理解・枠組みによって、救われる面は必ずある

でも、一方で、その「ちょっと変わった人」が、どこかしらに居場所があって、受け入れられていて…ならばいいのですが、そうじゃないこともある。

今の日本って、地域コミュニティが弱くなってしまったり、経済的なゆとりのない人たちもいっぱいいたりして、“異質な他者”に優しくなれない面がありますよね。

そういうときに、悪い文脈で、「あの人はちょっと変わっている。発達障がいなのではないか?」って言われて、はじき出されてしまうことは、今後もしばらくはあるんじゃないかなと思います。残念ながら。

 

そうですね。

 

そういうことを乗り越えていったあとに、ようやく発達障がいがあってもなくても普通だよねというところにいけるかなと思っています。まだまだ先の話ですけどね。

僕の認識だと、発達障がいの人なんて、石を投げればあたるくらいにいっぱいいると思うんです。

みんなそれぞれ認知や発達にばらつきがあるのが普通ですから。だから、僕は発達障がいをあんまり特別扱いしないんですけど、でも、世間一般のまなざしはまだそうではない。

だから、発達障がいだからといって特別ではないし、お互いさまだよねっていう感じが受け入れられて、ご近所でも「ああ、だよね」ってさらっと言われるまでには、まだちょっと時間がかかるかなとは思います。でも、やっぱそうならないといけないし、そうなってほしいなとは思いますね。

今いろいろなマイノリティの人がそういうふうに多様性として認めてもらおうという運動をされてますよね。

その中で聞いたのですが、そういうマイノリティの方の特性が受け入れられたときというのは、それを意識することがなくなった時なんだと。意識しなくなって初めてフラットになる。

さっきの僕のその「お前、発達障がいだからって甘えんなよ」はその一環のコメントではあります。発達障がいだから、特別扱いしてくれっていうのは、もう自分から枠の外に行ってるようなものなんだと。

 

確かに。

 

現状では、特別扱いを必要としている段階なのかもしれないし、障がいの重さによっても特別扱いが必要かもしれない。

あるいは、その子の発達段階的にも、障がい受容度合い的にも、「特別扱いされる」のが望ましい時期なのかもしれない。でも、そこで留まっていてはいけないと思うんです。もちろん必要なサポートは受ける。

例えば、僕は目が悪いからメガネかけますし、だから「メガネくれ」って言います。でも、「目が悪いからできない」とは言わないし、言いたくない。

 

そうですね。三木先生としては、それが発達障がいっていうものの理解が進んで、みんなが発達障がいを正しく理解して、受け入れる土壌ができたらいいと。

 

もっと言うと、世の中の色々な人が発達障がいって何かもはやよく分からないよねってなると良いですよね。

「発達障がいって言ったって、みんなそうじゃん」「うん、俺もあるし」みたいな。

「結局発達障がいってよく分かんないね」って。

目が悪いよねとか、背が高いよね・低いよねとか、そんな風に発達障がいというものがスタンダードで、身近なものになってほしいなと思います。

 

三木先生が、そのためにされていることってどんなことですか?やはり診察なんでしょうか。

 

まずは、日々の診療で、個々のケースについて、できることをしていく。これがまず一番大事だと思っています。その中では、最初の方で話したように、“親を支える”こと。これが大事だなと。

頑張りすぎている親御さんには、そんなに頑張らなくても大丈夫やでって。頑張れてないと思っている親御さんには、うまく頑張れないその頑張れなさを受容したい。それから、一緒に悩んで一緒に見守っていきたい。

そして、子ども自身が“発達障がい”を正しく受け入れ、そこにあぐらをかくことなく、その特性と付き合えるようにサポートすること。それを僕は診察の中で大事にしようと思っています。


診断して、薬出して、「はい、終わり」には絶対したくない。ま、当たり前ですけど(笑)。

そして、僕が診療と同じくらい大事にしたいのが、啓発活動ですね。
このインタビューをお受けするのもその1つです。

僕、ご縁があって、最近よく学校に呼んでいただいてるんです。子どもの様子を観察したり、先生たちの相談受けたり、先生たちへ発達障がいの研修をさせてもらったり。

そのきっかけになったのは、ある小学校のスクールカウンセラーさんと、ケースのことで打ち合わせをしたことがあって、そのカウンセラーさんが、「三木先生は絶対学校を見に来た方がいい。現場を見てほしい」って教員研修の講師として呼んでくれたんです。

学校に児童精神科医として行ってみて、診察場面では出合わない、元気ですくすく育っている子もたくさん見れて楽しかったのもあるんですけど、それ以上に、担任の先生が授業ひとつやるにしても、30人の子どもに気を配りながら、授業自体も子どもの興味を引くように工夫されながら進めてたり、休み時間も子どもたちと遊んでたり。

そんな姿を見て、衝撃を受けました。すでにこんなに頑張っている先生たちに、「この子発達障がいだから、個別の対応をお願いします」って前は結構簡単に言ってたんですけど、これは無理やなと。

そんなこと言われても、先生しんどいだけやなと。現場を見てよかったなって思います。誰かの我慢や犠牲の上に成り立つ助言じゃなくて、もっと役に立つ助言をしようって思いましたね。

もともと僕、診察室にこもっているのが好きじゃないんで(笑)、学校の教員研修に呼んでいただいたり、スクールカウンセラーさんたちの研修会や、保護者向けの講演会に呼んでいただいたりすると、可能な限り予定を調整して伺います。

僕の考えていること、感じていることを、僕の言葉で広く伝えられる貴重な機会ですからね。僕自身にも学びがある。そういうことをこれからも大切にしていきたいです。

 

なるほど。三木先生が親しみやすくて、言葉に温かみがあるのは、先生の温かいまなざしもそうですけど、現場感覚に根付いたところもあるんですね!熱いですね。
今日は貴重なお話、ありがとうございました。

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保護者の方に対しても、お子さまに対しても、発達障がい全般のことに対してもとてもフラットなお話を頂けました。

Branchではこういったインタビューも今後増やしていきたいと思っております。

三木先生ありがとうございました!

 

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